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1.浦添貝塚(うらそえかいづか)
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国道330号の伊祖トンネルの上にある、約3000年前の貝塚時代前期の遺跡です。発掘調査で九州の市来式土器が出土して、九州と沖縄の文化交流を実証した遺跡として知られています。丘陵の上からたて穴住居跡が見つかり、その崖下は貝塚になっています。
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2.牧港テラブのガマ(まきみなとてらぶのがま)
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地元ではティランガマと呼び、また「寺の洞」とも書きます。牧港川口を見下ろす岩山の中腹にあります。幼い舜天と母が、父為朝の帰りを待っていたと伝えられる洞窟です。現在、牧港の聖域になっていて、洞窟の前庭は「牧港の殿」と呼ばれる拝所です。 |
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| 3.伊祖の高御墓(いそのたかうふぁか) |
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英祖王の父、恵祖世主(えそよのぬし)と三人の按司が納骨されていると信じられている墓で、中には石製と焼き物の厨子甕(ずしがめ)3基が安置されています。墓は、崖の中腹を掘込んで石垣で囲い込み、墓口をアーチ形にした古い型式です。国道330号の伊祖トンネルの上にあります。 |
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| 4.伊祖グスク(いそぐすく) |
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伊祖公園の中にあるグスクで、英祖王の居城と伝えられています。雑木林の中に残る野面積みの城壁や、古びた石畳の階段、そして字伊祖の聖域ともなっています。この遺跡は、沖縄の古いグスクの雰囲気を味わうことができます。伊祖公園内には、英祖王をほめたたえたオモロ(古歌謡)を刻んだ、オモロの碑が建立されています。 |
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| 5.浦添ようどれ(うらそえようどれ) |
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浦添グスクの北側崖下にある王陵です。13世紀に英祖王が造営し、その後1620年に尚寧王陵が増築されました。戦前のようどれは、暗しん御門(くらしんうじょう)とよばれるトンネルを通り、アーチ門をくぐって墓庭に入りました。高い石垣で囲まれた荘厳な雰囲気の王陵でしたが、さる沖縄戦で破壊されました。平成17年3月に復元され、住時の姿がよみがえりました。
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| 6.浦添グスク(うらそえぐすく) |
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13世紀頃に築城された琉球国中山の王宮です。浦添グスクは、15世紀初めに尚巴志によって滅ぼされ、王宮が首里城に移された後は一時廃城になりました。16世紀には再び浦添按司の館となりましたが、1609年の薩摩軍の琉球侵攻で焼き討ちされ廃城となりました。
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| 7.浦添城の前の碑(うらそえじょうのまえのひ) |
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1597年に、尚寧王が首里から浦添グスクまでの道を整備した時の竣工記念碑で、浦添グスク内にあります。石碑には、尚寧王の命令で国民が力を合わせて岩を刻みんで石畳道をつくり、川には虹のような橋をかけたと書かれています。さる沖縄戦で跡形もなく破壊されましたが、平成11年に復元されました。この石碑の場所から、玉城朝薫の墓や首里城、弁ケ岳を望むことができます。
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| 8.経塚の碑(きょうづかのひ) |
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昔、首里から浦添への街道の途中に妖怪が出没して人々を困らせていました。この妖怪を退治するために、1524年に日秀上人が、お経を小石に書き写して埋め、その上に「金剛嶺」と彫った石碑を建てたといわれています。経塚のことをチョーチカと呼びます。地震の時には、チョウーチカ、チョーチカと唱えると被害にあわないと信じられています。
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| 9.中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう) |
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中頭方西海道は首里城を起点に浦添を経由して本島西海岸を北上する道で、琉球王府時代(1429~1879年)に整備されました。この橋と石畳道は、尚寧王が1597年に首里から浦添グスクまでの道を整備したときに造られ、その後何度か改修されてきたと考えられます。橋の近くに赤皿ガーがあります。
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| 10.当山の石畳道(とうやまのいしだたみみち) |
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首里から浦添を通って宜野湾にいたる琉球王府時代の街道の一部で、字当山にあります。牧港川の谷間の坂道にある、長さ約200m、幅約3mの石畳道です。牧港川にかかる当山橋は、もとは木橋でしたが、大正期に石橋に改修されました。すり減ってつるつるになった石畳と、まわりの森や畑は昔の街道の雰囲気をよく残しています。
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| 11.玉城朝薫の墓(たまぐすくちょうくんのはか) |
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玉城朝薫は、琉球の国劇・組踊の創始者です。朝薫は、玉城間切惣地頭家に1684年に生まれています。天性の才能を発揮して、たびたび王府の踊奉行をつとめ、中国の冊封使節一行を歓待するために、組踊という演劇様式を生み出しました。この墓は、玉城一族の墓として17世紀後半頃につくらた亀甲墓で、珍しい形をしています。去る沖縄戦で屋根が破壊されていましたが、平成17年3月に修復しました。
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| 12.西原東ガー(にしばるあがりがー) |
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字西原の拝山の北側の崖下にある井戸です。別名ウブガー(産井戸)とも呼ばれ、字西原の拝所になっています。半円形と四角形の水溜と、石積みのヒンプンがあります。600年前からあったものを300年前に現在の形に改築したと言われています。今でも澄み切った水が水量豊かに湧いています。
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13.勢理客・仲西・内間の獅子舞 (じっちゃく・なかにし・うちまのししまい) |
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獅子舞は、古くから県内各地の村落で豊年祭や厄払いの行事などで演じられてきました。浦添市内では、勢理客、仲西、内間の各保存会が旧暦8月15夜に公民館で演じています。その中でも勢理客の獅子舞は、国選択の民俗芸能に指定されています。満月の夜の村祭りで演じられる獅子舞は、なかなか見応えがあります。
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| 14.前田と内間の棒(まえだとうちまのぼう) |
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棒は、棒を使った勇壮活発な集団演技で、古くから沖縄各地で行われてきた民俗芸能です。前田の棒の種目は、一人棒、二人棒、巻棒など20種類にもおよびます。旧暦8月15日に行われます。内間の棒は、3尺棒、6尺棒があり、合戦棒とも呼ばれています。演技には一人棒、組棒があり、獅子舞といっしょに旧暦8月15日に行われます。
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| 15.琉球漆器(りゅうきゅうしっき) |
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琉球王国は中国・朝鮮・日本・東南アジア諸国との交易と文化交流をとおして独特な工芸文化をつくりあげました。琉球漆器はその代表的な美術工芸品で、日本の将軍や中国皇帝へ献上されました。浦添市美術館には沈金(ちんきん)・螺鈿(らでん)・箔絵(はくえ)密陀絵(みつだえ)などの技法の琉球漆器約350点が収蔵されていますが、そのうち35点が県と市の有形文化財に指定されています。
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16.屋富祖の御願所のガジュマル (やふそのうがんじゅのがじゅまる) |
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この木は樹齢100年を超える大樹で、樹幹は直径1.3m、樹高13m、枝の広がりは21mもあります。沖縄戦の激戦地となった浦添では、樹木がほとんど焼き尽くされましたが、このガジュマルは戦火に耐えて生き残りました。字の公民館の向かいにある拝所に生えているので、「御願所のガジュマル」と呼ばれて親しまれています。
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| 17.内間の大アカギ(うちまのおおあかぎ) |
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沖縄戦の戦火をくぐり抜けて生き残った、浦添では数少ない大樹の一つです。樹齢約400年といわれ、浦添では最高齢の樹木です。アカギは熱帯地方にみられる常緑高木で、日本では琉球列島に分布します。奈良時代には、剣の柄などの材として、琉球から貢納されました。
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18.おもろの碑(おもろのひ)
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琉球王府が編集した『おもろさうし』という古い本には、祭りの時に神にささげた謡(おもろ)が集められています。土地や領主をたたえ、豊かな穣りを願い、航海の安全を祈り、また、戦争のこともうたっています。全部で1554首あるおもろの中には浦添にかかわるおもろが67首あります。浦添市では、この中から9首を選んで現代の書家に書いてもらい、石に刻んでおもろにゆかりのある土地に建てました。
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19.仲間の拝所群(なかまのはいしょぐん)
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字仲間には12カ所の拝所がありますが、その内4カ所が市指定の文化財です。仲間樋川は日常の飲料水としての利用をはじめ、産水・正月の若水などを汲む井泉でした。仲間火ヌ神とクバサーヌ御嶽は、火の神や祖霊神を拝むところ、仲間ンティラは御嶽内に所在する洞窟で神の鎮座する場所といわれています。
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20.安波茶樋川(あはちゃ ふぃーじゃー)
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安波茶樋川は、古くから字安波茶の人々の生活に必要な水を汲むところで、水は産水や若水などとしても利用されてきました。樋川の水は人の体を育て、健康を保つセジ(霊の力)があると信じられ、信仰の対象になっています。
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