浦添市指定史跡

玉城朝薫は王府の役人として薩摩や江戸へ上った際、能や狂言、歌舞伎などの大和芸能を学び、それを琉球の芸能に取り入れ、琉球国劇ともいわれる「組踊(くみおどり)」を創り出した人物です。代表作には「二童敵討」、「執心鍾入」、「銘苅子」などがあり、現在でも絶えることなく上演されています。

17世紀後半に造られたと推定されており、この時期中国の影響を受けて亀甲墓が成立していく時期の特異な構造をしています。墓の内部には天井を支える石柱があること、墓庭の石垣が曲線を描いていることなど石造建築をみる上でも貴重な文化財です。