浦添市指定史跡

首里王府からの諸令達や貢租のために使われた宿道の一つで、「公事道」とも呼ばれています。中頭方西海道は、首里城を起点に平良、大名を通り、浦添の沢岻、経塚、安波茶、仲間、牧港を経て読谷に至るルートを指し、北の恩納、国頭方面を繋ぐ主要道路でした。

1597年建立の「浦添城の前の碑」には、尚寧王の命により首里平良から浦添城までの道を拡張し、平良橋を木橋から石橋に架け替え、道に石畳を敷く国家的大土木工事を実施したと記されています。

中頭方西海道は、琉球王国の政治・経済の発展に伴い整備されてきた道であり、琉球の歴史・文化・交通を考える上で重要な文化財です。

安波茶橋は、経塚と安波茶の谷間を流れる小湾川上流にかかっている、アーチ状の石橋で、北橋と南橋からなります。尚寧王が1597年に首里から浦添城までの道を整備したときに造られたと考えられています。