浦添市指定史跡

牧港テラブのガマは、国道58号線近くにある洞穴で、中は昼間もうす暗く、今でも参拝者がときおり訪れて線香があげられている場所です。
 伝説によると、保元の乱に破れ、島流しになった源為朝は、「運を天に任せて」今帰仁村運天港に漂着し、そのあと南に下り、大里按司の妹と結婚し尊敦を生みましたが、歳月が流れるうちに望郷の念にかられて琉球をはなれる決意をし、妻子を残して牧港港から出帆しました。残された妻子は、夫の帰りを待ちわびて、この洞穴で暮らしたということです。その地名が「待つ港」となり、現在の「牧港」に転化したと言われています。また為朝の残した子、尊敦が、沖縄の歴史上第一代の王、舜天王であるとも言われています。
 戦前の牧港は、このテラブのガマ近くに開かれた集落でした。部落の年中行事では、テラブのガマの御願は欠かせない習慣だったそうです。