浦添ようどれは、浦添城跡の北側岩壁の中腹にあります。岩壁を掘り削って作られた沖縄を代表する墓のひとつです。この一帯は、去る沖縄戦での激戦地で、ようどれも大きな被害をこうむりました。墓域を囲んだ石垣も、美しいアーチ型の門も、墓室をおおっていた石組みも破壊されましたが、戦後墓室の石組みと「ようどれの碑文」は復元されました。向かって右側が英祖王の墓、左側が尚寧王の墓だと伝えられています。両陵とも正面は石組みで漆喰が塗り固められています。

ようどれは「夕凪」すなわち無風状態での波の静かなる意から転じてこの墓の名前になったとも言われています。また「ようどれ」とは、極楽のオモロ名ではないかとも言われています。

 

▲英祖王陵(西室)

 

▲尚寧王陵(東室)

 

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