中頭方西海道及び普天満参詣道

記事番号: 1-12107

公開日 2022年07月21日

中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう)

 首里から各地に繋がる道の一つで、地元では「公事道(くぅじみち)」とも呼ばれています。中頭方西海道は、首里城を起点に平良、大名を通り、浦添の沢岻、経塚、安波茶、仲間、牧港を経て読谷に至り、さらに北の恩納、国頭方面に繋がる道でした。小湾川に架けられた安波茶橋と周辺の石畳は、発掘調査で見つかった遺構をもとに復元整備し、約187mの道が国の文化財(史跡)として指定されています。

道の整備
 1597年に建てられた「浦添城の前の碑」には、尚寧王の命令によって首里から浦添グスクまでの道に石畳を敷き、平良橋を木橋から石橋に造り替える大工事を行ったことが記されています。しかし、大正時代の道路工事などによって石畳道は次第に姿を消し、去る沖縄戦では、安波茶橋が爆破されるなど大きな被害を受けました。

 

安波茶橋

 小湾川上流に架かる二つの石橋(北橋と南橋)が安波茶橋です。首里城から浦添グスクまでの道を整備した1597年頃には存在していたと考えられています。しかし、発掘調査で見つかった出土遺物や橋の造り方から判断すると、北橋は18~19世紀、南橋は明治以降の架橋が明らかになりました。経年とともに橋の修理や架け替えがあった可能性があります。

北橋

 北橋は正面からみるとバチ状に開いているのが特徴です。アーチ部分は幅の長い3個の琉球石灰岩で造られています。上流側で古い護岸が見つかったことや、アーチ直上の石畳から壺屋焼の破片が出土したことから、18~19世紀頃に改修された可能性があります。

北橋

南橋

 南橋は沖縄戦で破壊されましたが、発掘調査の結果、アーチ部分は幅の短い7個の琉球石灰岩で造られていることや、橋の形式が駝背橋(だはいきょう、橋の中央がらくだの背のように盛り上がる形)であったことがわかりました。アーチが洋式の造りであることから、明治時代後に改修が行われたことが推察されます。

南橋

普天満参詣道(ふてんまさんけいみち)

 普天満参詣道は中頭西海道から分かれて普天満宮へ向かう道です。1644年に尚賢王の普天満参詣が始まるので、この頃にはこの道が存在していたと考えられています。当山川の南北に敷かれた保存状態が良好な約210mの石畳道を普天満参詣道と称し、地元では「当山の石畳道」の名称で親しまれています。

 

国王の普天満参詣
 1644年に初めて尚賢王が普天満宮に参詣し、これ以降毎年9月に国王の参詣が行われます。9月は危難(災難)の多い月とされたため、無病息災を祈ったとされています。普天満宮の往復に国王は輿に乗り、王子や三司官・親方らがお供しました。

 

石畳道と石橋

 この辺りの道は馬が転ぶ程の坂道なことから「ウマドゥーケラシ」(馬転ばし)と呼ばれていました。石畳道の途中、牧港川には当山橋と呼ばれる大正から昭和に改築された石橋が架けられています。

当山橋

本史跡の保存活用及び整備基本計画書は以下のとおりです。

保存活用計画書(90MB)

整備基本計画書(75MB)

この記事に関するお問い合わせ

教育委員会教育部 文化財課
郵便番号:901-2501
住所:沖縄県浦添市安波茶一丁目1番1号7階
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