伊波普猷の墓

記事番号: 1-897

公開日 1900年01月01日

【伊波普猷の墓】

 

 

史跡浦添城跡の西側の一画には伊波普猷の墓が建てられています。

伊波普猷は、言語学や歴史学などの様々な学問分野から沖縄の文化・歴史を研究する〝沖縄学〟の創始者です。浦添が首里以前の古都であったことを初めて論じた「浦添考」をはじめ、生涯を沖縄研究に尽くした業績から〝沖縄学の父〟と呼ばれる研究者であり、啓蒙家でした。

 

伊波普猷の墓.png

 

【沖縄学の父・伊波普猷】

 

 

【伊波普猷の生涯】

 伊波普猷は1867(明治9)年に那覇西村の士族の家に生まれた。沖縄尋常中学(首里高校の前身)を退学処分された後、本土に渡り三高(後の京都大学)から東京帝国大学に進んで言語学を修めました。東大在学中から、浦添が首里以前の古都であったことを最初に論じた「浦添考」など、すぐれた論文を発表しています。

 帰郷して県立図書館長となった伊波は、歴史研究のかたわら、琉球処分後の沖縄差別で自信を失った県民に自信と誇りを回復する啓蒙活動を行います。大正十四年に再び上京しますが、戦争で米軍に占領された沖縄の行く末を案じつつ東京で亡くなりました。その後、伊波の研究にゆかりの深い浦添の地に墓が作られ、永遠の深い眠りについています。

 

【伊波普猷の墓の建造】

 伊波普猷の墓は、没後15年目の1961(昭和36)年に、浦添ようどれと背中合わせの位置に造られた。伊波を慕う有志が「伊波普猷先生顕彰会」を組織し、県内外に建設のための寄付金を募る活動により多額の寄付が集まったという。

墓が建てられた場所は、後に国指定史跡浦添城跡の史跡指定範囲内となる場所であり、個人の墓が建てられる場所としては凡そ異例の場所である。しかし、「浦添考」をはじめとする浦添の歴史に関わる重要な研究が縁を結び、また、生前に伊波が望んだとされる「那覇の街が一眺され、東シナ海、慶良間列島がめるところ」でもあったこの地に、伊波は眠ることとなった。

 

【顕彰碑】

 墓の脇には、顕彰碑が建てられています。

顕彰碑には伊波の人物像を伝える東恩納寛淳による詩が刻まれてます。

 「彼ほど沖縄を語った人はいない

  彼ほど沖縄を愛した人はいない

  彼ほど沖縄を憂いた人はいない

  彼は識った為に愛した為に憂えた

  彼は学者であり愛郷者であり預言者でもあった」

 

 

【参考文献】

 上記の内容は、以下の文献を参考に作成しています。

金城正篤・高良倉吉2017『「沖縄学の父」伊波普猷[改訂版]』清水書院

中根学1999『人間・伊波普猷 思索の流れと啓蒙家の夢』沖縄タイムス社

 

伊波普猷1976『伊波普猷全集』平凡社

 

 

 

この記事に関するお問い合わせ

教育委員会教育部 文化財課
郵便番号:901-2501
住所:沖縄県浦添市安波茶一丁目1番1号7階
TEL:098-876-1295
FAX:098-879-7280
お知らせ:問い合わせメールはこちら

このページについてお聞かせください

Topへ