てだこウォーク3kmコースおよび5kmコースが新日本歩く道紀行100選に認定されました

記事番号: 1-6633

公開日 2015年12月07日

 「あまくま歩っちゅん浪漫ウォーク実行委員会」より皆様にお知らせです。

てだこウォークの土曜日、日曜日の各3kmコース、5kmコースの一部が、それぞれ新日本歩く道紀行100選選考委員会により、



「浦添市美術館・城跡を巡るてだこロード」(土曜日)



「尚寧王ゆかりの地を巡る探訪のみち」(日曜日)

として下記の趣旨の元認定されました。



【新日本歩く道紀行100選ホームページ】















 
《道の選出と主旨》

 1.地域の誇るべき道を選び、道を歩く旅づくりによる新たな道資源を活用した活力の創出を目指すことを、その主たる目的としています。(地域の経済活力の創出)



2.日本の風土・国土の再認識と道の再発見を行い、未来に伝える道の遺産づくりを目指します。



 3.アウトドア スポーツ ウォーキングとしてのツーリズムウォーキングを発展させ、健康づくりと国内外の 観光促進を伴った経済の活性化に寄与することを目指します。



新日本歩く道紀行100選より引用




これを機会に「てだこウォーク2016」に参加をして浦添市の魅力を再発見をしてみてはいかがでしょうか。

今回認定されたコース以外にも楽しく歩けるコースもあるので、多くの方のご参加を心からお待ちしております。



【てだこウォーク2016のホームページ】





各コースの見どころ



浦添市美術館・城跡を巡るてだこロード(土曜日)


















1.浦添運動公園


全コース  

浦添市のスポーツの拠点として市民の体力増進やレクリエーション活動の場として整備されました。

主要な運動施設には、陸上競技場、体育館、野球場、多目的屋内運動場、まじゅんらんどがあり市民に広く利用されています。


●浦添運動公園

















2.浦添市美術館


3kmコース(土)(日)  

琉球王朝文化の華ともいえる琉球漆器を展示している唯一の場所であり、外観のシルエットが美しく、外からも楽しめる。


○美術館

















3.仲間樋川(ナカマふぃーじゃー)


5kmコース(土)  

樋川は、古くから字の人々の生活に必要な水を汲むところで、水は産水や若水などとしても利用されてきました。



樋川の水は人の体を育て、健康を保つセジ(霊の力)があると信じられ、信仰の対象になっています.


○仲間樋川

















4.浦添城前の碑


5kmコース(土)  

1597年に、尚寧王が首里から浦添グスクまでの道を整備した時の竣工記念碑で、浦添グスク内にあります。



石碑には、尚寧王の命令で国民が力を合わせて岩を刻みんで石畳道をつくり、川には虹のような橋をかけたと書かれています。



さる沖縄戦で跡形もなく破壊されましたが、平成11年に復元されました。この石碑の場所から、玉城朝薫の墓や首里城、弁ケ岳を望むことができます.


○浦添城前の碑

















 



5.浦添城跡


5kmコース(土)  

浦添城跡は琉球王朝発祥の地として12世紀から15世紀にかけて舜天・英祖・察渡の3王統が居城を構えたところで、146mと市内一の高さからぐるっと360度の大パノラマを楽しめます。



太平洋と東シナ海の二大海が一望に見渡せる絶好のビスタポイントです。


○浦添城跡・復元城壁

















6.浦添グスクようどれ館


5kmコース(土)  

写真や発掘調査成果のパネル、出土遺物などから、浦添グスクと浦添ようどれの歴史が分かりやすく学べます。

 実物大で再現された浦添ようどれの西室(英祖王陵)は必見です!


○ようどれ館




尚寧王ゆかりの地を巡る探訪のみち(日曜日)


















1.浦添運動公園


全コース  

浦添市のスポーツの拠点として市民の体力増進やレクリエーション活動の場として整備されました。

 



主要な運動施設には、陸上競技場、体育館、野球場、多目的屋内運動場、まじゅんらんどがあり市民に広く利用されています。


●浦添運動公園


 


















2.玉城朝薫の墓


5kmコース(日)  

玉城朝薫(1684~1734)は琉球独特の歌舞劇『組踊』の創始者です。



彼は中国からの冊封使を歓待するために踊奉行となって組踊を生みだしました。 



この墓は庭の石積みなどが曲線を描くのが特徴的で、亀甲墓が成立していく17世紀後半から18世紀前半に作られたと考えられます。


●玉城朝薫の墓


 


















3.中頭方西海道


5kmコース(日)  

琉球王国時代に首里王府からの命令伝達や租税の上納に使われた宿道。



尚寧王の命令により首里平良と浦添城をつなぐ道を拡張し平良橋を木橋から石橋に架け替え、道に石畳を敷く国家的大土木工事を行ったことが分かります。



現在は安波茶橋とその周辺に石畳道が残されています。


●中頭方西海道


 


















4.経塚の碑


5kmコース(日)  

昔、ここに巣くう妖怪が道行く人々をたぶらかしていました。



16世紀のはじめ、日秀上人が金剛経というお経をかいた小石を埋め、その上に「金剛嶺」と刻んだ石碑を建て妖怪を鎮めたと伝えられています。



また、大地震があってもこの場所は揺れなかったとされ、地震の際には「チョウチカチカ」「チョウチカ、チョウチカ」(チョウチカ=経塚)と唱えると地震がおさまると信じられるようになりました。


●経塚の碑

















5.安波茶橋一帯


5kmコース(日)  

16世紀に建造された、浦添グスクから首里まで続く琉球王朝の歴史を感じる古道です。          

 



首里城から続く琉球王国時代の宿道で、沖縄県北部まで続く当時の主要道路だったそうです。

 



現在は安波茶橋を中心とする一部が復元保存され、橋は経塚と安波茶の谷間を流れる小湾川上流に架けられた南橋とアブチ川に架けられた北橋からなります。  

 



この橋がいつできたのか、それははっきりしませんが、1597年に浦添グスクから首里平良までの道を整備したときに造られたと考えられます。





近くには琉球国王が「普天間宮」へ参拝する折に赤い皿に水をくみ差し上げたとされる井泉「赤皿ガー」があります。


●安波茶橋

この記事に関するお問い合わせ

経済文化局 文化スポーツ振興課
郵便番号:901-2501
住所:沖縄県浦添市安波茶一丁目1番1号本庁5階
TEL:098-876-1223
FAX:098-876-9467
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